ニクソン声明によってドルの交換性が停止された後、十ヵ国グループはその年の十二月中旬にワシントンのスミソニアン博物館において、(1)ドルを切り下げて金一オンス九二八ドルとすること、(2)各国通貨間の新為替相場はセントラル・レートの形で発表すること、(3)為替相場の変動幅を上下各一▽二五%とすることなどを決めました。この時、円のセントラル・レートは一ドル=三〇八円と決定されました。スミソニアン体制を一言でいえば、交換性のないドルに対し各国が自国通貨の相場を固定した制度(ただし、変動幅はブレトン・ウッズ体制のそれより拡大)であるといえます。しかし、スミソニアン協定に基づく固定相場制は長続きしませんでした。半年後の七二年六月にイギリスが変動相場制に移行し、七三年一月にイタリアが二重相場制を採用、スイスは変動相場制に移行、二月には日本、イタリアが変動相場制へ、三月にはEC通貨(イギリス、イタリア、アイルランドを除く)が共同変動相場制を採用するに至りました。スミソニアン体制の崩壊とそれに伴う主要先進国の変動相場制の採用により、IMF協定も改正せざるを得なくなりました。しかし、第二次改正がなされたのは、七八年四月になってからのことです(第一次改正はSDR導入の時)。そこでは、(1)各国がどのような為替相場制度を取るかは自由とする、(2)各国の為替相場政策はIMFの監視にしたがう、(3)将来、世界経済が安定した後、IMFは八五%の多数により平価制度への移行を決定することができるということが規定されており、将来における平価制度への復帰の可能性を残しながらも変動相場制を公式に承認することとなりました。これにより、固定相場制を基本とするブレトン・ウッズ体制は名実ともに崩壊したのです。