日本人ではじめて、一流のデザイナーである証明の「オートクチュール組合」への加入を認められたのが森英恵だ。蝶をモチーフにしたデザインが多いことから、「マダムバタフライ」の異名をとる、日本人デザイナーの巨星である。その彼女が、デザイナーの道に進むきっかけになったのは、なんと洋裁学校での花嫁修業だった。といっても、当時の彼女は大学を卒業して結婚したばかり。自分の着るものと子供のものくらいは手作りで……と、はじめは軽い気持ちで、新婚3か月で洋裁学校に入学した。ただ、物をつくるという作業にはもとから興味があり、アーティストになりたいという夢をいだいていたというから、磨かれざる玉だったわけだ。学校での授業がだんだんおもしろくなり、妊娠・出産を経ても通学は中断することなく、卒業後は友人たちと小さな洋裁店を開く。これが繁盛し、1951年、新宿に「ひよしや」を開店するまでに成長したのだった。ただ、何もかもがトントン拍子だったわけではない。「ひよしや」は小さな木造家屋の2階だったから、道路に面した窓はすべてガラス張りのショーウインドーにしたり、2階への階段入り口にマネキンを飾ったりという、服のデザイン以外の面でも彼女のセンスが発揮された。やがて、日本に駐留していた米軍将校の夫人たちのドレスを依頼されるようになり、ここでも外国人のファッションやデザインに対する感覚を吸収し、さらにセンスを磨いていったのだ。また、納得のいく生地を手に入れるために、高価な輸入物を扱う店にわざわざでむくこともあったし、税金のことなど考えずに、入ったお金をすぐ生地の購入に回したりもした。近くの喫茶店に集まる若者たち相手に、ファッションショーもどきの催しを開いて、楽しんでもらったりもした。お嬢様芸、奥様の余技で終わらせず、1965年にはアメリカ・プレタポルテに進出、77年にはパリにオートクチュールをオープンし、世界にはばたくまでビッグになった。彼女のこの成功は、課題が与えられるたびにそれを克服し、挑戦しつづけてきたからこそだ。